宗明のつれづれ
これまでの「つれづれ」...


2015/5/20

☆ 父との別れを経て・・・ ☆



「倒木更新」という言葉を、十年ほど前にあるセミナーで聞き
なぜか胸に迫るもの感じました。

朽ちて倒れた古木の上に、次の世代を担う若木が宿る。
その繰り返しにより、生命は受け継がれ、森林は維持されていくのだそうです。



去る5月6日、父が他界いたしました。
肺がんとわかり、兄の病院のホスピス病棟に入院して一月半ほど後のことでした。

おかげさまで痛みを訴えることもなく、眠ったまま・・・
穏やかな最期でした。
しかし、父なりの思いがあっての最期でもあったように思います。

GWをはさんでの十日間、私に充分父に寄り添う時間を与え
そして、翌日は川越に戻らなくては、というGWの最終日ぎりぎりに
父は息を引き取ったのです。
もしこれが翌日で、父の最期を見届けることができなかったとしたら
どれほどの悔恨を残したことでしょう。

この一月半は、わたくしにとって、悲しみに満ちてはおりましたが
同時に人生の宝物ともいえる貴重な日々でした。

二度ほど、病状が悪化し、私を呼んでいるとの知らせを受けて
夜の新幹線に飛び乗り、長野に向かったこともあります。
父のベッドの横にもうひとつベッドを用意してもらい
父に寄り添って夜を過ごしました。
ずっと昏睡状態で、目を覚ますことがなかったというのに
二日目の夜に、ふと眼を覚ますと、誰かが私の手を優しく撫でています。

父でした。
朝までずっと、一晩中私の手を撫でてくれた父のぬくもりは
忘れることはできません。

幼い頃、寒い長野の冬の夜は父がお布団の中に招き入れてくれました。
夏はアイスクリームを食べさせてくれた父、
いつも頭を撫でてくれた父、
ああ、こうして同じように子供の頃のご恩をお返しするのだと思いました。

「蟹が食べたい」という父のために、蟹のチーズリゾットを作ったり
大好きだったスイカやさくらんぼをミキサーにかけては父の口に運びました。

入院前、自分に厳しい父は、糖尿病の悪化を恐れ糖質制限をしていましたが
アイスクリームもシュークリームも嬉しそうに食べてくれました。
でも、いけないものを食べているという意識があったのでしょうか、
一口ごとに、「ないしょね」と言うかのように人差し指を口に当てるのです。
「うん、わかったよ、ないしょにするから、いっぱい食べてね」
と語りながら、スプーンを運んだ日々を懐かしく思い出します。

父と一緒にやすみながら、幼い頃のことをたくさん話し、
言い尽くせぬ感謝の思いを伝えることができたのも、本当に幸せなことでした。
言葉は不自由でしたが、「ありがとう、ね」 と語りかけるたびに
「わかったよ」というかのように、つよく手を握ってくれた父。
心満たされるひと時でした。

病気がわかったその日まで、医師として診療にあたり
まさに生涯現役を貫いた父でした。
そんな勤勉な父らしい、私たちへの励ましや訓話は
まさに心に響く珠玉の言葉でした。

もうろうとしながらも、私に
「人間は体を動かして働かなくてはいけない、仕事をしなくてはいけない」と
繰り返し諭す父の言葉に背を押され
後ろ髪を引かれつつ川越に戻ったこともあります。

言葉が出なくなってからは、母や私の手をひたすら求め、
握りしめていた父。
病身の父のどこにこんな力が残っているのだろうと不思議に思うほど強く握るので、
私の指先は紫色になってしまうほどでした。
父にとって、私たちの手のぬくもりは現世と自分を繋ぐ唯一の絆だったのかもしれません。

少しでも手を緩めようとすると、更に強く握り、一向に放そうとしてくれないので
ある時、根負けしてボードに「おなかがすいたから、ご飯食べてきていい?」と書きました。
すると、それを読んだ父は、はっと我に帰ったかのように、すーっと手を離してくれました。

その情景が忘れられない私です。
今となっては、食事など一度や二度しなくても、
父の手を放すようなことをしなければよかった。。。 と哀しく思い出します。

父の手は、産婦人科医としての数十年間に、
何万人という数の赤ちゃんを取り上げてきました。
私の同級生や、その兄弟が、父の病院で生まれたという話を何度も聞きました。

そして何よりも、私の娘と息子を取り上げてくれた、愛おしい手。

その父の手が少しずつ力を失い、そして、冷たくなってしまったことが
悲しくて、悲しくて、いたたまれぬ日々を送りました。


しかし、日常生活に舞い戻った今、
六ヶ月になる孫娘が、私に手を伸ばしだっこをせがみます。

「倒木更新」・・・

老木はただ死に絶えるのではなく、次の世代に生命のバトンを渡す。
巨木が倒れることで光が差し、朽ちた倒木の上で稚樹が育ちゆくのです。

孫娘の幼い手は、確実に父とつながっているのだと、強く思います。

この、愛おしい温かい存在を、大切にしていくことが
父への何よりの供養なのでしょう。


うわ言のように最後まで
「用があったら呼んでね・・・」 と繰り返していた父。

私はあなたの娘として、これからも誇りを持って生きていきます。

でも、時に疲れたとき、重荷を下ろしたくなったときは
「お父さん・・・」 と、呼んでみていいかしら?

その力強い手で、きっと、きっと、私を助けてくれると信じています。


たくさんの愛を、ありがとう。
どうぞ安らかに眠ってください。






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